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気になっているテーマ:
アメリカ社会の「人種」と歴史認識、公民権と人と活動、人種関係の変容と揺れる記憶、etc.





湖畔の親子づれ (2023年7月、撮影:樋口)


課 題 山 積

◆・・・叙述の仕方....これは永遠で尽きることない大きな課題! いったい私たちは自分たちの研究成果をだれに読んでもらいたいと考えているのでしょうか。研究者だけでよいはずはないでしょう。さらに多くの方々に「臨場感」をもって読んでもらうには、どのように書けばよいのか。これは、まだ試行錯誤を重ねるべき課題です。まだこれからだと思っています。
◆・・・実態に迫りたいという姿勢....私たちの研究の産物として叙述された「歴史」も、実態そのものの再現ではないという意味で究極的にはフィクションでしょう。さらに、しかも、歴史という実態のなかに位相が複数あり、それらが複雑に絡みあうことで歴史のなかの実態が総体として紡がれているはずだと思われます。とすれば、歴史のなかの一つの現場に立ち会うという意味での実証の姿勢が重要であることはもちろんですが、その現場が特殊であれ何であれ、総体のなかのどの一コマなのかを問うことで、少しでも総体を見出し普遍性に気づくことができるのかもしれません。
◆・・・記憶という魔物....「記憶」には「形成される」記憶と「形成されない」あるいは「消される」記憶もあります。さらには「変容する」あるいは「歪められる」記憶もあります。それらを扱うことによって、形成/排除/歪みのプロセスのみならず、それらがなぜ現在までいかに受け継がれてきたか否かということも、今の時点でどのように受け継がれ、あるいは変えられようとしているのかも、気になります。



最近の一言(過去の不要なものは少しずつ消していきます。)

◆2024年4月。ウェブサイトの書き込みから長い間ご無沙汰しています。久々の近況報告です。共同プロジェクト『歴史との対話--今を問う思索の旅』は昨年8月に出版され、今年3月に反省会を兼ねた集まりを開きました。執筆者全員がそれぞれに叙述という問題と真正面から向き合ったようです。わたし自身は、プロジェクトが終わるころ、デイヴィッド・S・セセルスキが30年ほど前に書いて出版されたAlong Freedom Road: Hyde County, North Carolina, and the Fate of Black Schools in the South (UNC Press)の下訳を始めました。Along Freedom Roadは、著者にとって博士論文を基に出版した最初の本です。わたしにとっては1990年代、アメリカ合衆国最高裁判所が1954年に下した通称「ブラウン」判決後の公立学校における人種統合を扱った研究の大半が、黒人生徒を白人学校に送り込むという現象を「人種統合」とみなしていたこともあり、異色の研究として念頭に残りました。ただ、その頃は、ミシシッピ州で公民権獲得の活動に携わった人びとの自伝を翻訳するという課題があったので、ノースキャロライナ州に深く思いを馳せる余裕がなかったというのが正直なところです。それでも、Along Freedom Roadがずっと気になる存在であり続けたわけです。Cecelskiさんのブログからエッセイを10点選んで翻訳し『アメリカ東海岸 埋もれた歴史を歩く』と題して出版できたことで(当ウェブサイト2023年1月参照)、ノースキャロライナ州東海岸地域を少し肌で感じることができ、これならAlong Freedom Roadにもチャレンジできそうだ・・・という気がして、翻訳に踏み切りました。それが、どうにか来たる5月には『自由を求めて―-アメリカ南部 人種統合と黒人学校の行方』という本になって出版されることになりました。共同プロジェクトでもいろいろ考えさせられることは多くあります。もちろんそうですが、その一方で翻訳という作業はまた違った次元で、著者の執筆過程に肉薄するためにも、著者の思いや歴史のなかの物語の舞台となる状況を読者にわかりやすく理解してもらえるよう表現するためにも、自問自答をくり返すことになるので、いろいろ考えさせられます。セセルスキさんの作品の世界は、それがブログのエッセイであれ、研究書であれ、わたしにとっては、具体的な事例や人びとの生きざまから固有の何かを知ると同時に、そこから普遍的な何かを手繰り寄せることができそうに思わせてくれる世界でもあります。歴史研究は具体が基盤になくてはなりませんが、そこから普遍性が見えてくれば、より多くのさまざまな読者にアピールできるはずですから、それにこしたことはありません。そうしてみると、たとえノースキャロライナ州東海岸地方である時期に展開された特定の事象であっても、それは他のどの地域でも、州境を越えて、国境を越えて、自分たちの住んでいる地域の事象と重ねて捉えることが出来そうな気がしてくるのです。おそらくそれは、歴史のなかで生きてきた人びと、もちろん今を生きている人びとについても、一定のレッテルを貼ることなく、それぞれの総体を、その存在の根っこから理解したいという姿勢、さらに言うなら、歴史のなかで生きた人びとに寄り添い、時空を越えて共に考え共に生きているというような実感のようなものが、その世界にはあるように思われます。もちろんセセルスキさんの作品/研究を「ノースキャロライナ州の歴史研究」あるいは「南部史研究」とみなすことはできるでしょう。歴史研究というアカデミックな世界では、時代や地域に特化して専門性のラベルを貼って研究を分類するのが常ですから。とはいえ、たとえ小さな地域の限られた時期であっても、その眼差し次第では「人びとの歴史」(human histories)を描いた作品だと言えるだけの叙述の深みを行間に漂わせている作品もあると思われるのです。そういう作品の叙述は、さまざまな背景をもつ多くの読み手がそれぞれに有する心の回路のどこかに届くのだろうと思われます。セセルスキさんの最初の本を翻訳するという作業の自問自答から、そんなことを考えている昨今です。そういう具合に考えているとき、最近目にしたある研究書で、このウェブサイトの2021年12月に紹介したジム・グラントを、「黒人民族主義者」(black nationalist)だと添え書きしているのを目撃しました。研究者は、こうやって「分類」していくんだなと、少々がっかりしました。今は亡きジム・グラントがそれを知れば、どう思うのでしょうか・・・。

◆2023年7月。猛暑たけなわのなかで共同プロジェクトも終盤を向かえています。書名は先日、『歴史との対話――今を問う思索の旅』に決まりました。全部で12のエッセイが並びます。どの執筆者も、おもしろく短く読み易くを目標にして、それぞれの歴史世界を展開する小さな本になるはずです。歴史研究者と言えど、人。その前提を自覚することで、読み手にも一緒に考えてもらえる歴史叙述を試行錯誤しました。

◆2023年5月。「歴史との対話」プロジェクトの原稿が出そろいました。まずは一段落です。今を生きる執筆者たちの歴史世界が、今を生きる読み手の心をはたして揺さぶることができるのか、どうすれば歴史認識を読み手と共有できるのか、試行錯誤の連続でした。研究者は言うまでもなく、そうではない方々にも興味深く読んで考えていただくには、どのように叙述すればよいのか、模索は尽きません。執筆者たちが忙しい日常のなかで、歴史と向き合うという行為を今を生きながら試みた結果が原稿には反映されているはずです。それを「成果」という人もいるかもしれません。少なくとも、執筆者それぞれにとっての今の「道しるべ」あるいは「今を生きている証し」だと言えそうな気がしています。それらが一冊になったとき、どのような本になるのかは、これからの楽しみということで。

◆2023年4月。初夏のような暖かな日々と霜でもおりそうな日々が代わる代わる訪れています。
 この4月25日にハリー・べラフォンテが96歳で他界しました。1960年代には公民権獲得の諸活動が世界的に注目されましたが、それを牽引してきた人がまた一人この地上から消えたということになります。公民権の活動現場を実写したビデオでベラフォンテの姿を見かけた人は多いでしょう。ミシシッピ州で公民権獲得のために活動し続けてきたホリス・ワトキンズも、自伝(拙訳書『公民権の実践と知恵―アメリカ黒人 草の根の魂』)でベラフォンテらが保釈金を提供してくれたことや、活動の現場に物資を供給してくれたことに触れています。人びとの生きる権利を守るために多くの活動を多岐にわたって支え続けたベラフォンテの精神的エネルギーがどのようにして醸成されたのか、非常に興味のあるところです。ベラフォンテは、ジャマイカからの移民の子としてニューヨークの「黒人街」ハーレムで1927年に生まれて、世界大恐慌の極貧の状況下で幼少期を過ごし、紆余曲折を経て、1950年代に俳優および歌手として頭角を現した人物です。ポール・ロブソンの影響を強く受けたと言われています。そのあたりのことがベラフォンテの自伝(2011年出版)にどのように書かれているのか、読んでみたいと思います。
 ついでながら、先週、8回目の区切り歩き遍路で84番の屋島寺から結願寺とされている88番の大窪寺までを巡ってきました。屋島寺が山上に、次の八栗寺が山の中腹にあり、久々の坂道と急傾斜の山道を足元に注意しながら歩くことになりました。志度寺は海辺のそばの平坦地にあり、お寺そのものが草むらと林という感じで、季節の花々も美しく咲き、一風変わった景観を味わいました。志度という土地が平賀源内の縁の地だということも、行って初めて知りました。87番の長尾寺はうっかりすると通り過ぎそうな庶民的なお寺さんでした。そこから大窪寺までは長い街路と山路を歩き、見事な新緑と凛と咲く野生の藤の花に見とれながら、思わぬ史跡にも出くわしました。そして、驚きと共に感慨深かったのは、大窪寺に「原爆の火」が灯っているということでした。後で調べて学んだことですが、その小さな炎はもともと、福岡県八女市星野村から従軍し広島で被爆した星野という名の陸軍兵士が、広島市内で書店を経営していた叔父を捜したものの見つけることもできず、書店のあったあたりにまだくすぶっていた火を「形見」として懐炉に入れて故郷に持ち帰ったものだそうです。その小さな炎の存在を知った日本原水協が、1988年に火を全国に灯そうとして四国にも足を運び、香川県では大窪寺の住職が火を灯し続けることに賛同して、今日に至っているということです。世界中が狂っているのではないかと思われる昨今、その火が灯し続けられていることに感謝したいと思います。

◆2023年3月。今年は例年より早く桜の開花の便りが届いています。関東平野ではすでに満開のところが多いようです。
 26日(日)久々に東京に出かけました。花冷えの雨の一日でした。「歴史との対話」プロジェクトの研究会が10時から予定されていました。10人全員が顔を合わせ、対面で話し合う機会となりました。プロジェクトの声かけを始めた2021年10月から1年半、瞬く間にここまで来れたのは、実験的な歴史エッセイ集つくりに挑戦しようというメンバーのチャレンジ精神と、メンバーのあいだでの自由闊達なコミュニケーションのお陰です。みなさんに感謝です。
 26日には、この1月に出た拙訳書『アメリカ東海岸 埋もれた歴史を歩く』の書評が『読売新聞』に掲載されました。非常にわかりやすく紹介されていて、本当にありがたいことだと思います。これを機に多くの方々にお読みいただければ嬉しいです。

◆2023年1月。 年が明けて、もう1月も半ばになりました。
 デイヴィッド・S・セセルスキさんのブログに掲載されていた300以上のエッセイから10作品を選んで本にしてみた一冊が『アメリカ東海岸 埋もれた歴史を歩く』(My Journey into the Past: Stories from North Carolina)と題して日本語で出版されました。私の役割は、日本語読者にとって分かりやすい編集と翻訳でした。著者であるセセルスキさんの承諾と応援には心から感謝しています。本書を手に取ってくださった読者からは、今のところ写真がたくさんあって、読みやすそうだという声が届き始めています。本書の作成にあたっては実験的な本であったため、度重なる手直しを経て翻訳原稿が完了した時点が新たな出発点だったと思います。その原稿を基にして、ページ上の本文の文字の大きさや、写真を目立たせるための紙面配分や紙質と色の決定、地図の仕上げやカバーなどの装丁に至るまで、出版社の編集者やデザイナーがいろいろ工夫してくださいました。その結果、著者と編訳者の思いに沿った統一感のある本にしていただいたように思われます。ありがたいことだと思います。一冊の本が出来上がるまでに多くの関係者のお世話になっているということに、改めて感謝しています。そのうえで、本書が日本語読者にどのように響くのか、響かないのか、今のところ不安と期待と半々の心境です。少しでも響けばいいなあ・・・と願っています。


 (『アメリカ東海岸 埋もれた歴史を歩く』)


  ◆2022年11月。 早くも冬の寒さが感じられる時期になりました。
 昨日はプロジェクト「歴史との対話」研究会の第3会の会合が無事に終了しました。全員の取り組み具合から面白そうな内容になりそうで、ほっとしているところです。メンバーのみなさんが、それぞれの関心から歴史と対話する試みも軌道に乗り、もうあと一息です。
 10月は、まつもと市民芸術館の総監督(串田和美)らが中心となって催されるFESTA松本(昨年に続いて2回目)が10日間も開催されました。昨年のこの催しは見逃していましたので、今年は「スカパン」などを楽しませてもらいました。実は、演劇はあまり接したことのないものでしたので、新鮮であると同時に戸惑いも感じました。それゆえか、舞台演劇の俳優たちは何を伝えたいと思っているのか、いろいろ考えさせられました。そして、一つ得たことがあります。それは、演劇では劇作家が示したい全体のメッセージはあるのでしょうが、それを演じる俳優は、原作を自分たちなりに解釈し演じようとする一方で、ひょっとすると観衆を全面的に信頼し、演劇という舞台の上に展開される「作品」から何を感じ取るか、それをどのように楽しむか、その一切を観衆に任せているのかもしれないと思い当たったことです。歴史叙述を「作品」と見るなら、理解し考えるという「自由」を読み手に任せるということも、ある意味で重要なのかもしれません。

  ◆2022年9月。 久々にウェブサイトを更新します。
今年はセイジ・オザワ松本フェスティバルのコンサートが対面で実施されると聞き、8月半ばになって急遽オペラ「フィガロの結婚」とシャルル・デュトワ指揮のコンサートのチケットを入手しました。まずオペラの素晴らしさに感動して、次のコンサートのほうも期待が高まりました。コンサートのチケットは、数枚残った席のなかでは最良と思しき席が2階の3列目でした。音も「眺望」も申し分ありませんでした。シャルル・デュトワも健在でしたし、繊細さに力強さも加わって、至極いい音でした。サイトウ・キネン・オーケストラの奏でる音の見事さには本当に魅了されました。演奏が終わって、聴衆の拍手が鳴りやまないのは、名演奏の場合はよくあることでしょう。その拍手のなかを演奏者が退場する、これも普通の出来事です。と思ったそのとき、ほとんど全員が互いに握手して、互いをねぎらい称え合うのです。この光景には、驚きました。演奏者が一流であるだけでなく、互いに支え合っているということを自覚し、その自覚をシェアできる血の通った人間関係を築いてきたのが、このオーケストラの特徴なのでしょう。
 それから、拍手がまだ続いていて、演奏者たちが再び舞台に現れ、拍手が一層高まっているとき、車いすに乗った小澤征爾が現れました。拍手が一段と大きくなっただけでなく、2階から見ていると1階の聴衆は総立ちになりました。舞台のわきに駆け寄る人もなかにはいました。小澤征爾のサービス精神もさることながら、聴衆の反応をしっかり受けとめ、心満たされているようにも見受けられました。
 休憩時間に隣の席にいた人が話しかけてくれたのですが、大町から車で来ているとのことで、しかも最初の年はチケットが取れずにあきらめたけれど、その後は毎年欠かさずに聴いているとのことでした。おそらくそういう人が大勢いて、このフェスティバルを支えてきたのでしょう。今年で30年目を迎えるという長期にわたって築かれてきた大事なものを見せてもらったような気がしました。
 9月は、諏訪地方の小宮で御柱祭がありました。近隣の手長神社でも7月から着々と準備が始まり、9月26日の建御柱で終了しました。できるだけ多くの準備にも参加させてもらって、楽しむだけでなく、いろいろ学び考える機会になりました。

◆2022年6月。 5月のハイライトは御柱祭でした。あっというまに6月に入った気がします。そして、久々に対面でアメリカ学会の年次大会が開催されるというので、昨年のうちに退会したにもかかわらず、改めてプログラムを見て突如参加しようと思い立ちました。おもしろそうなシンポジウムが目についたからです。プログラムの半分以上についてはウェッブ上でも視聴可能であったからか、会場に行ってみると参加者の姿は予想通り少なく思われました。部分的に1日目の午後と2日目の午前で印象に残ったのは、難民と移民の歴史を「アメリカ帝国」の視点から見直すというテーマを掲げたシンポジウムでした。登壇者たちが生き生きと報告・討論をしている姿も新鮮だっただけでなく、19世紀から21世紀まで大きな人流が生じた諸状況をグローバルに問い直すというフレームワークも意義あるものだと思いました。と同時に、そのような大きく多様な人流のなかにいる個人をどのように叙述するかという視点も改めて気になったというのが、今回の収穫だったように思われます。久々に会った友人・知人たちと言葉を交わす楽しみも再確認しました。

◆2022年4月。 桜も満開。今年はどこもかしこも例年より見事なようです。先日、アメリカ合衆国連邦最高裁判所に新たな裁判官候補になっていたケタンジ・ブラウン・ジャクソンが連邦上院議会での審査手続きで共和党議員の激しい追及を受けながらも、正式に裁判官になることが承認されました。世の中の大きな動揺のなかで、せめてこれだけは一件落着というべきでしょうか。今後の状況を注視したいと思います。

◆2022年3月。 あっという間に3月も後半です。そろそろ桜の花だよりも聞こえてきています。昨今の人災(とりわけ戦争)と自然災害の状況には心が痛みます。自分とは異なる地域の異なる状況下で生きている人びとのことを思うにつけ、歴史研究に携わってきた者にも「人」としてできることはあるはずだと、手探りしています。「歴史の道具化」と言えなくもないことではありますが、こればかりは、あきらめたくないものです。その一方で別次元のことではありますが、アメリカ合衆国の司法関連では、カーター政権下で1994年に連邦最高裁判事に就任したスティーヴン・ブライヤ(Stehpen Breyer)が辞意を表明し、その空席を誰が埋めるのかも気になるところです。先月25日にバイデン政権は、ケタンジ・ブラウン・ジャクソン(Ketanji Brown Jackson)を第一候補にすると発表しました。ジャクソンは、オバマ政権下の2013年からワシントン・D・C地区の連邦地方裁判所判事を務め、2021年には同地区の連邦控訴裁判所判事職を委任されている人物です。「黒人女性」として最初の連邦最高裁判事が誕生すると期待する声もあがっているなかで、妊娠中絶問題・銃問題・移民問題など、連邦最高裁判所が今後も遭遇するであろう難題をめぐって懸念を表明する声もあります。3月21日(月)に連邦議会における審査手続きが開始されました。その経緯を見守りたいと思います。

◆2022年1月。 また新しい年が明けました。今年はどんな年になるのでしょうか。机のわきに立てかけてあるミシシッピ州の地図を見ながら、考えているところです。

◆2021年12月。 ノースキャロライナ州を中心に公民権の活動を継続してきたジム・グラント(James Earll Grant, Jr.)がこの11月21日に転倒し頭を強く打って、84歳の生涯を閉じたという知らせが届きました。私は、ミシシッピ州での公民権に関しては少し知っているものの、ノースキャロライナの状況についてはむしろ疎かったことを酷く後悔しました。ジム・グラントという名前にすぐ反応できなかったのです。友人デイヴィッド・セセルスキ(David Cecelski)が追悼文をブログにあげたというので、読んでみました。いつもながらの、心にしみる文章です。デイヴィッドの叙述を通じて、ジム・グラントという人物がコンスタントに活動してきたこと、助けを求める人の元に必ず一番に駆けつけて窮地を共にし問題解消に努めたこと、どこでもいつでも人と人をつなぐ草の根の活動家であり続けたことを理解することができました。公民権の活動、ベトナム戦争反戦、刑務所での組織活動など、どこにいても問題解決のための組織活動に邁進した、それがジム・グラントの人生であったと理解することができました。それ以上にもっと知りたくなって、追悼文で知ったオーラルヒストリーのインタビュー録音(ノースキャロライナ大学図書館ディジタルサイトのSouthern Historical Collection Digital Site)を聞くことにしました。ジョシュ・デイヴィス(Josh Davis)による2014年7月29日の3時間24分におよぶ録音です。そのサイトを開いて聞き始めた私の耳に、ジム・グラントが自分の過去を振り返りながらぽつりぽつりと話し始めます。ノースキャロライナ州ビューフォート郡の生まれで、幼少期から大学院進学までの時期はコネティカット州で育ち、コネティカット大学を卒業し、ペンシルヴェニア州立大学で化学の博士号を取得したというグラントは、ノースキャロライナ州の生まれ故郷を忘れるどころか、その地を訪れ、その地に住む親戚との交流を続けていたということもわかりました。父親がコネティカット州で郵便局で郵送物の配達人で、労働組合の活動に関与していたこと、母親がコネティカット州で地元のNAACPの活動に関与していたこと、ジム自身も1949年にコネティカット州で13歳のときに年上のいとこや友人たちとデパートの座り込みを実践して「黒人」もカウンターで食事する権利を認めさせたこともわかりました。父母はもちろんまわりの人たちがジムの活動を常に支持してくれていたこと、ジムがそういう環境で育ったということもわかりました。そして、ジムの声や話し方に耳を傾けていると、ジム・グラントが恐れを知らぬ、縁の下の力持ちとでも言うべき精力的な活動家であったという反面、心優しい普通の人であったということも直に伝わってきました。

 新しい研究プロジェクトが「歴史との対話」と称して始まりました。現段階で総勢10人。その簡単な経過報告は、当サイトの「共同研究プロジェクト」のページ(→こちらからお入りください)に掲げていきます。

◆2021年11月。 どうにか10人ほどの仲間たちからの賛同を得て、新しく共同研究のプロジェクトが12月に立ち上がることになりました。前回の『歴史のなかの人びと』と同様に、今回も、読み手を視野に入れて叙述に工夫をこらすことになりそうです。誰にでも読んで理解してもらえる叙述というのは永遠の課題です。

◆2021年10月。 またしてもあっという間に9月が終わりました。9月12日(日)のアメリカ史学会年次大会の第2日目のシンポジウムにオンラインでそっと参加しました。そのなかで、ある報告から「人」の生活に軸足を置く姿勢が伝わってきて、共鳴を覚えました。歴史学研究の世界でも往々にして論文の量産だけが奨励されがちな昨今、「日常」や「生活」という地点に軸足を置く研究は、リサーチに時間と手間ががかかるからか、少なくなっているような気もします。そんなときに、聴いていて面白くうれしい報告でしたので、共鳴を覚えたという次第です。
 この7月下旬に初めて訪れた縄文遺跡や遺物に対面して「眼から鱗」のようなヒントをもらって以来、このところずっと、歴史を考える視座と展望について考えていることがあります。いつか共同研究まで発展させることができればいいなと思いはじめています。どうなりますことか・・・。

◆2021年8月。 あっというまに8月が終わってしまいました。山や縄文遺跡などを友人たちとめぐり、現役中は余裕がなくて読めそうもなかった本なども読む機会を得て、退職後の最初の夏としてはまずまずでした。それどころか、その点ではとっても楽しい夏でした。その一方で、大雨による土砂災害や浸水で被災された方々も多く、コロナ禍も収束しそうになく、世界情勢も不安定で、世の中の暗さもつきまとう8月でした。ついでながら、歴史との対話を終えるつもりはありませんが、そろそろ潮時かと思い、所属してお世話になっていた学会も、定年退職を機にいくつか退会手続きをしました。いろいろ考え中です。

◆2021年7月。 コロナ禍の中でオリンピックが進行中。なかなか複雑な状況にあります。
 それとは趣が異なりますが、昨今気になっていることを少し綴ってみることにします。
 まず、去る5月2日の早朝、ミシシッピ州キャントンで父母と共に公民権獲得のために闘ったロバート・C・O・チン、Jr.の娘さんから「父が今朝他界した」という知らせが舞い込みました。ロバートが亡くなった! それからいろいろ考えているのですが、今度は、ミシシッピ自由夏期計画(Mississippi Freedom Summer Project)の提唱者でもあったロバート<ボブ>・P・モーゼズが7月25日に86歳で他界したという知らせ。世の中を変えようととして生きてきた人びともまた人の子でした。あの人たちの勇気と思慮深さと思いやりを忘れないようにしたいものです。考えてみれば、ロバート・C・O・チンは、1970年代以降もミシシッピ州での公民権をめぐる活動を志し、ボブ・モーゼズもまた貧困と教育の問題に取り組み続けていました。「アメリカで生活する人」として社会の改革に人生を捧げた人の死を、私たちはどのように受けとめればよいのでしょうか。少なくとも、その人たちの足跡がすでに他の多くの人びとによって多様な形で受け継がれていることにも注目していきたいものです。
 それから、最近アメリカで発行されている新聞記事の見出しにcritical race theory(以下CRT)という言葉がしばしば目に留ります。この考え方は、そもそも1970年代末から1980年代前半にコロンビア大学の法学者たちを中心として、1960年代の公民権法制定後も人種をめぐる白人優位黒人劣位という社会状況が是正されていないようだという疑念に端を発して議論が始まったとされています。それとは別の流れでスミソニアン博物館では1492年のコロンブス(コロン)の「アメリカ到達」という歴史的な出来事を先住民の視点も含めて見直そうという歴史展示企画が始まっていました。原爆投下から半世紀という節目となる1995年に向けてスミソニアン博物館では新たな展示案を提起したものの、それは遺族会や共和党右派などからの猛烈な反対を受けて実現しませんでした。そういう状況下で、1995年にクレンショーら法学者たち(Kimberle Crenshaw, Neil Gotanda, Gary Peller, and Kendall Tomas) による編集で論集Critical Race Theory: The Key Writings That Formed the Movement (New York: The New Press) が出版され、過去および現在の人種をめぐる不当な実態をあぶりだそうという活動も呼びかけられたわけです。それは、アメリカでは非ヨーロッパ系(非白人)の移民増加が顕著となる陰で、おりしも先のスミソニアン博物館での試みや歴史教科書の内容の是非などをめぐって喧々諤々の問答が展開した「文化戦争」という、多様性をめぐる価値観の闘いの真っ最中の時期でもあったわけです。この法学者たちによって始まったCRTの考え方に歩調を合わせるかのように歴史の見直しはその後も続きます。
 21世紀に入ってアフリカ系住民(黒人住民)に対する白人警察官による暴力事件や白人優越主義者を名乗る若者による黒人教会襲撃事件などが広く報道されたからか、法学者や学芸員の域を超えて、CRTの考え方と歴史の見直しはここ10年ほどで巷のさまざまな人びとにもじわじわと影響していったようです。南北戦争時代の南軍の「英雄」の功績を讃えた像や南軍の戦旗などが公共の場から撤去されたりしている現象も、過去における偏見の象徴ブツを称えて公共の場に安置しておくなど、現在の多様性と公正を尊ぶ価値観では受け入れられないという批判的な姿勢の表われでしょう。もちろん、現在の価値観にはそぐわないからという理由で過去の「悪しきもの」を不可視化することがはたして公正な行為なのか否かについて論争が継続しているわけですが、まだまだ議論の余地があるでしょう。
 歴史の見直しについて、最近では、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』の編集者ジェイク・シルヴァシュタイン(Jake Silverstein)が提唱した「1619年プロジェクト」も注目されるようになりました。そのきっかけは、『ニューヨーク・タイムズ』紙の記者ハンナ=ジョーンズ(Nikole Hannah-Jones)が、「1619年プロジェクト」について書いた論考が2019年に『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に掲載され、ピューリッツア賞を受賞したことでしょう。ハンナ=ジョーンズは、奴隷制と人種差別を軸にしてアメリカ史を見直そうと提唱したわけです。これを機に学校教育にもCRTの手法が取り入れられるようになり、2020 年にはこのプロジェクトおよびCRTをトランプ氏が大統領として猛攻撃したことはよく知られています。CRTの考え方は、その後もアメリカ社会の「白人原理主義者」(白人ナショナリストの一部?、トランプ主義者もその一派としておきます)の攻撃を浴びています。
 今年に入って、ノースキャロライナ大学チャペルヒル校(州立大学としてアメリカで最初に開校し、1950年代まではもっぱら「白人」学生の大学として知られていた大学)のジャーナリズム学部でハンナ=ジョーンズを正教授として採用したいという動きが一時的とはいえ封じ込められたりして大騒動になりました。詳細は省きますが、正教授としての雇用人事が進まない事態に抗議する人びとは大学運営に携わる教授陣だけでなく学生たちにも広がりました。この人事に断固反対した白人原理主義的な(白人ナショナリスト的な?)権力者たちが問題視したのは、歴史の見直しを迫ったハンナ=ジョーンズの「1619年プロジェクト」だったと報じられています(最終的にハンナ=ジョーンズは歴史的に黒人大学であったハワード大学にめでたく正教授として迎えられ、ノースキャロライナ大学の対応は後手にまわりました)。
 こうした昨今の人種をめぐって津々浦々で展開されている論争には、人種をめぐる歴史の諸相・移民増加と今後の人口予測など、さまざまな要因から成るベクトルが考えられますが、1990年代以降に関してはCRTという考え方の影響力も通底要因であるように思われます。そんなことが気になっているこのごろです。
 そうそう、『アメリカ社会の人種関係と記憶―歴史との対話―』が書評欄(『朝日新聞』7月24日、土曜日)で紹介されました。ありがたいことです。

◆2021年6月。 このところコロナ禍ゆえに学会のシンポジウムもオンラインで開催することが定着しているようです。去る5月から6月にかけて、歴研大会とアメリカ学会の年次大会がZoomで開催され、そのいくつかに聴衆の一人として「出席」しました。対面でのシンポジウムに慣れているせいか、オンラインでの出席にはいわゆる臨場感不足を感じました。そのためかもしれませんが、報告者のプレゼンテーションの良し悪しが妙に気になりました。オンラインでは「出席者」が共有できる画面を、報告者がいかに効果的に使うかという側面もかなり重要になるようです。登壇者のみなさんのご苦労と報告内容はもちろんですが、なぜか、直接は見えない主催者側のみなさんの姿にも思いを馳せることになりました。

◆2021年5月。 拙著『アメリカ社会の人種関係と記憶―歴史との対話―』(彩流社、2021年)を部分的にでもいち早くお読みいただいた方々から感想が少しずつ寄せられています。有象無象の存在として主体的に生きたいと願う著者に共感すると書かれたものもあり、励まされています。ありがたいことだと思っています。

◆2021年4月。 大学ではコロナ禍との対応を強いられながら授業が本格化しつつありますが、私は昨年度から、そして今も、身の回りの整理に追われる毎日です。在職中に活字になった拙論を12選んで本にするのも、なかなか大変でしたが、どうにか一段落です。店頭には5月10日あたりに出るそうです。書名は、『アメリカ社会の人種と記憶―歴史との対話―』です。この機会に自分の半世紀の「作品群」を読み直してみると、自分がいかに「人」にこだわり、歴史認識や記憶の問題にこだわってきたかわかります。そのため、新聞・雑誌・私信・日記・報告書・国勢調査原典など、できるかぎり多種多様な史料を探し出し、それぞれの史料と向き合うことで少しでも多角的に多面的に歴史と、そのなかに生きた人や人びとと対話しようと試みることが自分には大事だったようです。私たちが今を生きようとする限り、どうやら、歴史が静止することはなさそうだ、そんな気がしています。


◆2021年3月。 3月の22日にソーシャルディスタンスに留意して武道館で卒業式が実施されました。私にとっては、定年退職という一里塚になります。そのため卒業式の後、ゼミの代表者から思いもかけぬプレゼントと小さな花束が手渡されました。私の山歩き好きとコーヒー好きを知ってのプレゼントでした。退職する私に宛てて、びっしり書かれた寄せ書きも添えられていました。コロナ禍での退職ですが、嬉しい出来事でした。ゼミ生の皆さんとの思い出は、これからも私の糧になるかけがえのない宝物です。感謝! 

◆2021年1月。 我ながら、2020年5月以降は一言も書いていないことを発見して、驚いています。専修大学で18年、その節目にコロナ禍に見舞われ、いかにそれに振り回されていたかが一目瞭然という情けないありさまです。今年度末(2021年3月末)に定年退職します。いろいろあった1年でしたが、無事終わりそうなので、安堵しています。「エメット・ティル事件」に関するゼミプロジェクトは『専修史学』69号に掲載されるところまで行ったことは、ありがたいことです。ゼミ生たちの頑張りに拍手を送りたいと思います。今、研究室の片づけに追われています。とりあえず、きょうはこのへんで。

◆2020年4月。 新型コロナウィルス感染症が広がるなか、3年越しのプロジェクト成果として『歴史のなかの人びと―出会い・喚起・記憶―』(彩流社)の出版が叶いました。気軽に手に取っていただき、どこでも読んでいただけて、しかも生の歴史に接する醍醐味を感性で受けとめてもらえれば・・・という一念でした。というわけで、小さな本になるように、プロジェクトのメンバーで試行錯誤を続けました。詳細は、本サイトの「共同研究プロジェクト」をご覧ください。

◆2019年11月。今年も来年度のゼミを選択する時期になりました。面接期間中です。来年度のゼミも楽しみです。ゼミでは、第二弾の翻訳書を目指して、ゼミ生たちが奮闘しています。私のほうは、共同研究プロジェクト「歴史のなかの人びと」が大詰めを迎えています。私は、自分自身が実施したインタビュー記録に加えて、アメリカ在住メンバー4人の英語原稿の日本語翻訳をようやく終了したところです。12月末には日本在住の他のメンバー9人全員が脱稿する予定で、実に様々なテーマと技法の原稿が出来上がりつつあります。編者として、年末・年始が忙しくなりそうです。

◆2019年10月。今年の台風シーズンが終わると思いきや、またこの週末19号が来るというので、何やら落ち着きません。すでに被害を受けて難儀な日々を過ごされている方々もまだ多くいらっしゃることを思うと、心が痛みます。自然災害だから仕方ないと諦めずに、何か前向きに考えていかねば・・・と思うこのごろです。

◆2019年2月。早くも入試シーズンです。そんな折、ミシシッピ州のSNCC活動家ホリス・ワトキンズ/C・リー・マッキニスによる回想録Brother Hollis(2016年)の拙訳書『公民権の実践と知恵―アメリカ黒人 草の根の魂―』が出版されました。本書は、活動家とはいえ、日常を生きる「人」の視点から過去・現在・未来を見通して書かれている他に類のない回想録です。歴史研究の史料としても、「人として生きる」ということを考える書としても、多くの方々に読んでいただきたいと思っています。その一方で、どこまで著者に寄り添って生の声を日本語で反映できたか、これは訳者にとって永遠のテーマです。それはまた、歴史をいかに現在に伝えるかという叙述のありように関する永遠の課題だとも思っているところです。というわけで、試行錯誤は続きそうです。



◆2018年4月。授業が始まって、ばたばたしているときに、うれしい知らせが舞い込みました。フレデリック・ダグラスの最初の自伝(1845年出版)の訳書『アメリカの奴隷制を生きる』が5月半ばに2刷されることになりました。樋口ゼミのプロジェクトとして本書の出版に関わった元ゼミ生のみなさんと喜びを分かち合いたいと思います。同時に、本書をこれまで手に取って読んでくださった読者のみなさまに感謝します。奴隷制の歴史を知る史料としても、現在を「生きる」ことの意味を考えていただく参考文献としても、これからも多くのみなさんに親しんでいただければ、ありがたいです。

◆2017年6月。このところ「公民権運動」という用語は使わないようにしています。「公民権」を考えるとき、「公民権運動」と一般的に称されている事象と同じ射程を想定していないこともあり、今のところ「公民権をめぐる活動」と表現しています。それもまだ十分な表現ではないように思っています。とはいえ、まず<変容する>「公民権」の実態をその広さと深さごと展望し、そこに生きる人々の姿を、その生活・身体・思考・感情などがうごめく空間のなかで、できるだけ具体的に理解することに努めたいと思っています。それは「闘い」というより、「人が日常を生きる営み」のようにも見えているこのごろです。きょうのところは、このぐらいで。

◆2017年2月。昨年の1月には、ゼミ生たちの翻訳の仕事を『アメリカ奴隷制を生きる―フレデリック・ダグラス自伝―』と題して出版しましたが、読みやすい訳だという声を多くの方々からいただいています。その出版に関わったゼミ生のうち11名がもうじき卒業です。


つい最近のことですが、高校の歴史の授業で参考文献として奨励したところ、各自それぞれ読んで考えていたという、うれしい便りがゼミの卒業生から届きました。多くの方々に読んでいただきたいものです。 

 昨年5月末にはヘザー・アンドレア・ウィリアムズのHelp Me to Find My Peopleの翻訳を『引き裂かれた家族を求めて―アメリカ黒人と奴隷制』と題して出版することができました。カヴァーは、著者のキルト作品を、デザイナーの渡辺将史氏にアレンジしていただいたこともあって、すこぶる好評です。歴史叙述の方法を問う研究としても注目すべき書物だと思い、翻訳しましたので、7月には小さな書評会を開きました。昨年12月には日本アメリカ史学会の例会(合評会)でも取り上げていただきました。研究者たちの眼にはどのように映るのか、みなさんの率直な感想をいただければありがたいと思っています。


 (『引き裂かれた家族を求めて』のカヴァーには、著者の作品であるキルト3点が使われている。)


◆2016年10月。すでに10月も半ば。共同研究のメンバーと研究会の日取りが決まったところです。歴史研究において「人が生きる」ということをどのように捉えていけばよいのか、その語り口も含めて、この大きな問題に参加者全員で挑戦してみたいと思います。

◆2015年9月。何も書かずに約1年が経過しようとしていることに今、気が付きました。だからと言って、この1年、何もせず眠っていたわけではありません。「暇」ができると、ヘザー・A・ウィリアムズの書いた研究書を翻訳するという仕事に挑んでおりました。この書は、一般書としても通じる研究書です。今年度の出版を目指します。ミシシッピ州でのインタビューをどのように活かすか、考え中です。それに共同研究のチーム作りもぼちぼちと開始しております。それから、アメリカにも3月と9月にゼミ生を伴って出かけました。ゼミ合宿も1月は例年どおりに沖縄で、夏8月はゼミ生たちの希望どおり長崎で、それぞれ実施しました。過去5年間に学部ゼミの成果として『専修史学』に掲載されてきた翻訳(フレデリック・ダグラスの自伝)を学部ゼミ生がまとめたので、今年度中には出版される予定です。先週末は、日本アメリカ史学会の年次大会が北海道大学で開催され、橋和雅さん(専修大学の大学院文学研究科歴史学専攻の博士課程に在籍)も自由論題で報告して、「学会デビュー」を果たしました。いよいよこれからですが、まずは概ね好評だったようです。この大会では久々に複数の刺激的な研究報告に接して、充実感を覚えました。さて、これから後期の授業が本格化します・・・。

◆2014年10月。11月を目前に控えて、またしても時間の経過の速さに驚いています。課題山積のなか、今月は科研費申請書作成に明け暮れたような気がします。研究課題に関する議論を、アメリカ史だけではなく、ドイツ史や日本史など、守備範囲の異なる人々と共有できたことは、それだけ時間もエネルギーも要したけれど、ありがたく有意義なことでした。共同研究の醍醐味は、そういうところに始まるとも言えそうです。複数の研究協力者を含めて総勢20名の大所帯で、みんな一生懸命なので、後はただただうまくいきますようにと祈るのみです!

◆2014年9月。後期の授業がきょう開始。ゼミ合宿の3日間は広島。その前は、毎年のごとくアメリカ。なかでもこの8月は2週間以上をミシシッピ州で過ごしました。公民権をめぐる活動もさまざまな展開を見せています。今回も旧知の人々に加えて新たに数名の人たちの話を聞きました。それをまとめる時間の余裕もなく、授業準備に追われている毎日・・・。

◆2014年6月。あっという間に梅雨の季節です。どうにか『アメリカ公民権の炎―ミシシッピ州で闘ったアロン・ヘンリィ―』が出版され、フリーダムサマー50周年記念事業(トゥガルー大学で6月20日ころ開催)に間に合いました。どんなことが話題になったかなど、8月には話がいろいろ聞けるだろうと期待しています。

◆2014年1月。また年が明けました。授業のほうは学年度のもろもろの仕事が山積。口述試験のために読む卒論は23冊ほど。とにかく頑張ります。今から3月にゼミ生2人とのミシシッピ州訪問を楽しみにしています。アロン・ヘンリィの回想録の翻訳ももう少しで脱稿です。ゼミ生と学んでいるフレデリック・ダグラスの自伝もいよいよ来年度で最後。もう一つ公民権に関する手記もゼミ生と着手して進行中です。始めたものは終わらせなくてはなりません。さて、本当に頑張らなくちゃと、初心にもどる年始となりました。

◆2013年12月。ゼミ生は、口述試験を控えてはいますが、卒業論文を提出して、一息ついているようです。私の共同研究は、『<近代規範>の社会史―都市・身体・国家―』が出版されて一段落。これから出るかもしれない書評が気になるところです。数年前から取り組んでいる「コミュニティ」関連の共同研究もさらなる展開を目指して継続していきます。先日、新メンバーも含めて顔合わせの会を開いたところです。さあ、どうなりますことか・・・。

◆2013年10月。この夏はミシシッピ州に2週間滞在し、再会した人たちも含めて数名の人たちにインタビューすることができました。まだ全貌は見えてきませんが、1960年代以降も「公民権」をめぐる活動が継続されていることが少しわかってきました。来週末は、専修大学のエクステンションの企画する「歴史を紐とく」シリーズ「造られた『偶像/虚像』とその時代」で、「ロザ・パークスという『虚像』―『公民権運動』の『母』として―」と題してお話しすることになっているので、目下準備中です。それから昨年終了した科研費プロジェクトの成果として『<近代規範>の社会史―都市・身体・国家―』が近々出版される予定です。

◆2013年6月。アメリカ学会年次大会が東京外国語大学で開催され、そのシンポジウムでの報告も終わりました。以前から考えていたことを述べただけではありますが、自分のなかで整理すべきことが少し整理できたかな・・・と考えています。10月には、勤務校の「歴史を紐解く」シリーズでローザ・パークスを取り上げることになりました。同じ脈絡で「偶像」がつくられているという筋でどれだけわかりやすく提示できるか、チャレンジです。それは後期に考えることにして、目下山積の仕事に追われています。

◆2013年1月。年が明け、試験、卒論や修論の口述試験で忙しい時期を迎えました。年末から年始にかけて、カラーブラインドをテーマに書いた論考について何人かの方々から有意義なコメントをいただき、感謝しています。

◆2012年11月。科研費のプロジェクトで仙台合宿(11月16日〜18日)をして、一段落です。帰りがけに閖上(ゆりあげ)に立ち寄りました。瓦礫が取り除かれてはいるものの、災害から1年半経過するというのに住民の生活はまだ軌道に乗らず・・・。仮設住宅住まいでは、流されて消えた街を再生するエネルギーも一つにまとまりづらいという現状を、目の前に突きつけられたような気がしています。今のわたしたちに何ができるか考えさせられます。
 ミシシッピ州で公民権を求めて活動した女性Winson Hudsonの聞き書きを、Constance CurryがまとめたMississippi Harmonyの翻訳『アメリカ黒人町ハーモニーの物語』が12月に店頭に置かれることになりました。Winson Hudsonは死去していますが、その孫や姪、それにCurryさんが待っていてくれますので、クリスマスの前には届くように送ります。200ページ余りの小さな本ですので、多くの人たちに読んでいただきたいものです。

◆2012年6月。共同研究プロジェクトのシンポジウム(6月9日)とワークショップ(6月10日)は無事に終了しました。シンポジウムは、雨の日にもかかわらず参加申し込み者のうち106名の方々が各地から足を運んでくださいました。よく考え抜かれたコメンテーターからのフィードバックも功を奏し、実りある内容であったという感想も寄せられました。主催者側としてはとりあえず安堵しています。まだこれから仕事は山積しているので、新たな気持ちで一歩を踏み出したところです。

◆2012年4月。写真家として頑張っている藤島亮さん(樋口ゼミ2期生)とジョージア・アラバマ・ミシシッピの3州をレンタカーで回りました。いろいろおもしろい発見がありました。

◆2012年2月。学年度末の試験もおわり、早くも入試シーズンに入りました。あわただしいことです。来週あたり『流動する<黒人>コミュニティ―アメリカ史を問う―』が彩流社より出版され店頭に並ぶことになりました。本書は、「コミュニティ」を動態として理解することを6名の研究仲間と共に3年ほど模索した結果の論集です。「コミュニティ」とは何かについて、あえて定義せず、読者の皆さまにも一緒に考えていただきたいと思って、問うてみました。このプロジェクトを通して、「人と人とのつながり」について考察する出発点に立つと同時に、人が人として生きようとしてきた「生存」のありようを明らかにすることが、また新たな課題の一つとなったように思われます。

◆2011年9月。今週から授業が始まっています。9月9日・10日にUNC(チャペルヒル)の歴史学部との共済で実施された科研プロジェクトのワークショップは有意義でした。UNCの研究者のみなさんと科研チームのみなさんに心より感謝します。
 それにしても、今年の夏は実に忙しく過ぎました。アフリカ系アメリカ人コミュニティ形成研究会の論文集に入る原稿を仕上げ、9月18日のシンポジウム(日本アメリカ史学会年次大会)の報告準備、9月9日・10日のUNCでのワークショップ準備、それにゼミ生のフレデリック・ダグラス関連のプロジェクト(翻訳と解題原稿の校閲)など。一息つくまもなく・・・、と言いたいところですが、片道5時間車を走らせて35年ぶりに訪れた港町チャールストン(サウスキャロライナ州)では、奴隷制プランテーションの史跡めぐりやおいしい食事をして、しっかりと楽しんできました。いつかゼミ生と一緒に訪れたい町の一つです。

◆2011年4月。今年度は、東日本震災の影響で授業開始も2週間遅れとなりました。今年は受講生と何を語ろうかと、ぼんやり考えています。どうにか小論「暴力の不可視化を伴う秩序形成」の原稿も目途が見えてきました。アフリカ系アメリカ人コミュニティ形成史研究会のプロジェクトも、今年で一つの成果を出したいと考えていますので、例年以上に課題の多い年になりそうです。山を歩くことにも同じような情熱を傾けたいものです。去年歩いた山道と風景が懐かしい!

◆2011年1月。昨年12月に日本アメリカ史学会例会でシカゴのアフリカ系アメリカ人銀行経営者ビンガとそのコミュニティに関する中間報告をする機会を得ました。お陰で、少し考察の整理ができましたが、まだこれからです。1月からは卒論口述試験も含めて試験が山ほどあり、そのまま2月の入試シーズンに突入です。まさに修羅場です。

◆2010年9月。中期研修期間はあっと言う間に終わり、9月16日から大学業務に復帰しました。その最初が神戸へのゼミ合宿でした。阪神・淡路大震災について学び、日伯協会でブラジルへの移住の歴史に触れ、実り多い合宿になりました。もちろん卒論準備の報告にもじっくりと耳を傾けました。これから中期研修期間中につくったデータと悪戦苦闘です。12月4日までに何とかしなければ・・・。そうそう、この夏の渡米中に誕生日を迎えました。チャペルヒルの知り合いたちがsurprise birthday partyを開いてくれました。感謝!

◆2010年4月。科研プロジェクト基盤研究B「近代市民規範のポリティクス―『社会改良』の複合的メカニズムに関する史的考察―」の採択内定通知が届きました。プロジェクトの山への挑戦がしばらく続きそうです。14名の研究者からなる大所帯です。プロジェクトの進展は、上のリンク「共同研究プロジェクト」で発信していく予定です。

◆2008年4月。先月はアン・ムーディの自伝Coming of Age in Mississippiの翻訳『貧困と怒りの南部―公民権運動への25年―』(彩流社、2008年)のゲラ校正に追われました。本としての形を成していくプロセスというのは、楽しくもありますが、自分の手を離れていくまでの責任を重く感じる時期でもあります。アン・ムーディの世界の重厚さを精一杯日本語訳で再現できるように、いつものことながら、のめり込んでしまいました。これを機会にミシシッピ州との縁を少しでも温め続けたいと思っています。
 と同時に、社会秩序というものが古今を問わず諸要素によって紡がれ、そこに多様な問題が生じてきたことを考えるとき、「公民権運動」なるものを「人種」に特化することなく、もっと柔軟に捉えなおさなければならないような気がしています。また、「公民権運動」とは、アメリカ合衆国での運動のみを指すと解されることにも疑問を抱きはじめています。他の地域にも展開されてきた同じような運動との関係性などもこれから解明されるべきでしょう。要因の点でも運動の「場」という点でも、「公民権運動」を広義に捉えなおす必要がありそうです。そうすることで、現在の諸問題の検証と理解、さらには「和解」のプロセスにも歴史研究が少しは貢献できるのかもしれません。





略歴
 1950年三重県生まれ。1973年東京女子大学文理学部(英米文学科)卒業。1976年成蹊大学文学研究科修士課程西洋文化専攻修了。1981年The University of North Carolina at Chapel Hill歴史学研究博士課程中退。文学博士(1998年)。アメリカ学会清水博賞(1998年)。Senior Fellow at Mansfield Center, University of Montana(2021年〜)。
 職歴---専任(本務校): The University of North Carolina at Chapel HillにてLecturer(1981-
      1989年度)、共立女子大学国際文化学部(1990-2002年度、専任講師1990年、助教授
      1994年、教授2001年)、専修大学文学部(教授2003-2020年度、2021年3月末定年退職、
      2021年-名誉教授)。
   ---兼任(非常勤):成蹊大学(1992-2003年度)・埼玉大学(1993-1995年度)・東京学芸大学
      (1996-1997年度)・中央大学(1998年度)・明治大学(1998-2006年度)。

 所属学会---歴史学研究会(2021年度末まで)、日本アメリカ学会(2021年度末まで)、National
      Organization of American Historians(2022年10月まで)、日本歴史学協会(2024
      年度末まで)、日本アメリカ史学会。


著書・翻訳・論文など
1、研究書
・共編著『歴史との対話―今を問う思索の旅ー』彩流社、2023年
・単著『アメリカ社会の人種関係と記憶―歴史との対話―』彩流社、2021年
  ***『朝日新聞』(2021年7月24日)書評欄に評者<生井英考氏>により紹介。
・共編著『歴史のなかの人びと―出会い・喚起・記憶―』彩流社、2020年
  ***『ニュース専修』に掲載された紹介文は⇒ここをクリック
・共編著『<近代規範>の社会史―都市・身体・国家―』彩流社、2013年
  ***『ニュース専修』(2013.11.4)右下に紹介されました。⇒ここをクリック
・編著『流動する<黒人>コミュニティ―アメリカ史を問う―』 彩流社、2012年
  ***『ニュース専修』(2012.3.11)右下に紹介されました。⇒ここをクリック
・共編著『歴史のなかの「アメリカ」―国民化をめぐる語りと創造』 彩流社、2006年
・単著『アメリカ黒人と北部産業―戦間期における人種意識の形成―』 彩流社、1997年、
  ディジタル版2019年.


2、翻訳書
・デイヴィッド・S・セセルスキ『自由を求めて―アメリカ南部 人種統合と黒人学校の行方―』
  (Japanese translation of Along Freedom Road: Hyde County, North Crolina,
   and the Fate of Black Schools in the South
) 彩流社、2024年
・デイヴィッド・S・セセルスキ『アメリカ東海岸 埋もれた歴史を歩く』
  (My Journey into the Past: Stories from North Carolina) 彩流社、2023年
    Japanese translation of ten essays selected from more than 300 blog essays     written by David S. Cecelski [2017-2022]).
  ***『読売新聞』(2023年3月26日)「本よみうり堂」欄に<評者>森本あんり氏により紹介。
・ホリス・ワトキンズ/C・リー・マッキニス『公民権の実践と知恵―アメリカ黒人 草の根の魂―』
  彩流社、2019年
    Japanese translation of Brother Hollis: The Sankofa of a Movement Man,
    written by Hollis Watkins with C. Liegh McInnis (in 2016).
  ***『ニュース専修』(2019.3.15, p.8)に紹介されました!⇒ここをクリック
・ヘザー・A・ウィリアムズ『引き裂かれた家族を求めて―アメリカ黒人と奴隷制―』彩流社、2016年.
    Japanese translation of Help Me to Find My People: The African American Search
    for Family Lost in Slavery
, written by Heather Andrea Willimams (2012).
  ***『ニュース専修』(2016.7.15)にゼミ生が紹介されました!⇒ここをクリック
・フレデリック・ダグラス『アメリカ奴隷制を生きる―フレデリック・ダグラス自伝―』(監修)彩流
  社、2016年.翻訳は専修大学文学部歴史学科南北アメリカ史研究会(樋口ゼミ)による。
    Japanese translation of Narrative of the Life of Frederick Douglass, an American
    Slave
, written by Frederick Douglass (in 1845).
  ***『ニュース専修』(2016.3.12)にゼミ生が紹介されました!⇒ここをクリック
・アロン・ヘンリィ&コンスタンス・カリー『アメリカ公民権の炎―ミシシッピ州で闘ったアロン・
  ヘンリィ―』 彩流社、2014年.
    Japanese translation of Aaron Henry: The Fire Ever Burning,
    written by Aaron Henry with Constance Curry (in 2000).
  ***『ニュース専修』(2014.7.3)左下に紹介されました。⇒ここをクリック
・ウィンソン・ハドゥソン&コンスタンス・カリー『アメリカ黒人町ハーモニーの物語ー知られざる
  公民権の闘い―』彩流社、2012年.
    Japanese translation of Mississippi Harmony: Memoirs of a Freedom
    Fighter
, written by Winson Huson with Constance Curry (in 2002).
  ***『ニュース専修』(2013.1.2)左下に紹介されました。⇒ここをクリック
・アン・ムーディ著『貧困と怒りの南部―公民権運動への25年―』(付録アリ)彩流社、2008年.
    Japanese translation of Coming of Age in Mississippi, written
    by Anne Moody (in 1968).
・ドロシー・S・レッドフォード著 『奴隷制の記憶―サマセットへの里帰り―』彩流社、2002年.
    Japanese translation of Somerset Homecoming: Recovering a Lost Heritage,
    written by Dorothy Spruill Redford with Michael D'orso (in 1988).
・ディレイニィ姉妹、エイミー・H・ハース著 『アメリカ黒人姉妹の一世紀―家族・差別・時代を
  語る―』 彩流社、2000年.
    Japanese transltion of Having Our Say: The Delany Sisters' First
    100 Years
, written by Sarah and A. Elizabeth Delany with Amy
    Hill Hearth (in 1993).


3、論文など
・「20世紀米国の『カラーブラインド』という遺産―『暴力』の忘却と秩序形成―」『専修史学』
・「白い肌の『黒人』―アメリカ合衆国ジムクロー社会に生きたアレックス・マンリー―」真島一郎編
   『20世紀<アフリカ>の個体形成』、平凡社、2011年 〔『専修人文論集』79号
   (2006年10月)からの転載〕.
・「アメリカ合衆国の人種秩序をめぐる近況―チャペルヒルの道路改名問題と再開発の事例から―」
   『歴史学研究』865号、2010年4月、pp. 33-42.
・「アメリカ合衆国の公的記憶から消されるフランス/ハイチ革命のの功罪―自由黒人・奴隷蜂起・
  移住問題をめぐって(1790年代〜1830年代)―」『専修人文論集』80号、2007年3月、pp.
  41-83.
・「白い肌の『黒人』―アメリカ合衆国ジムクロー社会に生きたアレックス・マンリー―」『専修人文
   論集』79号、2006年10月、pp. 1-28.
・"Billiken Club: 'Race' Leaders Educating Children," Transforming Anthropology:
   Journal of the Association of Black Anthropologists
13 (October 2005): 154-159
     (2003年のペーパーの転載)
・"Reconsidering Economic Endeavors by Slaves as a Clue to Reinterpreting Slavery,"
   The Proceedings of the Kyoto American Studies Summer Seminar, July 29-
   July 31, 2004
, Ritsumeikan University, pp. 139-148.
・「シカゴ黒人新聞『ディフェンダー』の子どもたち―ビリケン倶楽部の成長と人種・国民意識
   (1921-1942年)―」(平成14年度〜平成16年度科学研究費補助金基盤研究B1研究成果報告書
    課題番号14310183/研究代表者樋口映美「アメリカにおける国民意識の歴史的考察」
    2004年3月)pp.163-180.
・"Billiken Club: 'Race' Leaders Educating Children," Interrogating Race and
  National Consciousness in the Diaspora
, Institute of African American Research,
   UNC-CH, 2003年, pp. 7-16.
・「戦間期から見る20世紀のアメリカ黒人―労働・消費・人種意識―」 『歴史学研究』 増刊号、2001年
   10月、pp. 2-10.
・「『文化戦争』 の概要と理念」 (トッド・ギトリン著/疋田・向井訳 『アメリカの文化戦争
  ―たそがれゆく共通の夢―』 彩流社、2001年 9月、pp.277-316).
・"The Study of Whiteness: How Effective Is It as a New Conceptual Approach to
      Understanding the History of Race Relations?" The Proceedings of the Fifth
   Kyoto Summer Seminar
, Ritsumeikann University, pp.145-152.
・「米国における1980年代の黒人雇用―戦間期の状況に照らした一考察―」 『米国におけるビジネス
    カルチャ―』(研究代表者: 大東英祐)--平成11年度外務省委託研究報告書 (日本国際
  問題研究所)、2000年 3月、pp. 54-63.
・「戦間期における人種意識と黒人コミュニティの広がり」 『共立国際文化』第15号、1999年 3月、
    pp. 27-42.
・「人種関係に見る新しい南部―1920年代人種間協力委員会の動向をめぐって―」 『共立国際文化』
     第11号、1997年 3月、pp. 37-54.
・「合衆国低南部農村の近代化―1920年代農村改善運動とその限界―」 『共立国際文化』 第10号、
     1996年 9月、pp. 49-78.
・「ヴァージニアのタバコ産業と奴隷制社会」 『TASC Report』 (たばこ総合研究センター) 創刊号
    1996年3月、pp. 1-24.
・「黒人教会と大企業の労働管理―1920年代におけるフォード社の事例―」 『西洋史学』 第174号、
    1994年10月、pp. 19-35.
・「世紀転換期の米国綿花地帯における黒人農民とその生活」 『共立国際文化』 第6号、1994年
   9月、pp. 77-97.
・「アメリカにおける黒人中流層の現実」 『アメリカ中産階級の現在』 (研究代表: 有賀夏紀)--
     平成5年度外務省委託研究報告書 (日本国際問題研究所)、1994年 3月、pp. 54-63.
・「1920年代におけるフォードの黒人観―理想主義から現実肯定主義へ―」 『アメリカ研究』 第28号、
  1994年 3月、pp. 111-129.
・「1941年に訪れたデトロイト黒人コミュニティの転機―フォード自動車会社の黒人労務管理体
  制をめぐって―」 『共立国際文化』 第5号、1994年 3月、pp. 77-101.
・「白人経営者と黒人工業労働力―1924年の移民制限法と効率追求の行方―」 『共立国際文化』
   第4号、1993年 9月、pp. 25-56.
・「両大戦間期における黒人消費者の購買力をめぐって―黒人コミュニティと白人経営者の交錯―」
   『成蹊人文研究』創刊号、1993年 3月、pp. 77-100.
・ 「『新黒人』への模索―1920年代の黒人指導者と黒人工業労働力―」 『共立国際文化』 第3号、
  1993年 3月、pp. 113-140.
・「20世紀初頭アメリカの黒人指導者―北部工業と黒人大移動のはざまで―」 『共立国際文化』
  第2号、1992年 3月、pp. 245-272.
・「アメリカの人種関係における社会史的アプローチ―1880年代から1920年代に関する最近のアメリカ
  での研究動向―」 『アメリカ史研究』 第12号、1989年 8月、pp. 51-67.
・「白人優越主義と黒人社会―世紀転換期のノース・カロライナ―」 『アメリカ研究』 第18号、1984年
  3月、pp. 134-156.
・「再建期における白人優越主義の台頭」 『アメリカ史研究』 第6号、1983年 8月、pp. 29-41.
・「白い革命と南部社会―1898年のウイルミントンの場合―」 『アメリカ研究』 第13号、1979年、
  pp. 71-95.


4、その他
・口頭報告「アメリカ史におけるカラーブラインドと公民権」〔シンポジウム2:平等概念の多様性
  アメリカ学会第47回年次大会、2013年6月1日、東京外国語大学
・巻頭言「不気味な大統領選挙戦」『アメリカ学会会報』第180号(2012年11月)p. 1.
・口頭報告「アメリカ南部の奴隷制秩序形成とハイチ革命」〔シンポジウムB:伝播する革命とアメリカ、
  日本アメリカ史学会第8回(通算36回)年次大会、2011年9月18日、北九州市立大学北方キャン
  パス本館〕
・口頭報告「銀行利用者リストから垣間見える紐帯―サウスサイド(シカゴ 1930年)(日本アメリカ史
  学会 例会「人種・歴史・表象」2010年12月4日 専修大学7号館)
・講演記録「アメリカ『黒人』と<ステレオタイプ>―奴隷制、ジムクロウ法の時代、そして現代―」
  専修大学大学院公開講座委員会編『現代米国の虚像と実像』同文舘出版、2009年、pp. 57-86.
・史料紹介「全国黒人向上協会(NAACP)青年部史料」『専修大学図書館便り』第67号(2009年4月)、
  p. 3.
・記事 「『黒人』大統領バラク・オバマ誕生―アメリカ社会の『人種問題と歴史』の視点から―」
  『専修ニュース』460号(2009年1月19日)p. 3.
・書評 「秋元英一・小塩和人編著『豊かさと環境』(ミネルヴァ書房、2006年)」『西洋史学』227号
  (2007年) pp. 88-90.
・史料解説 「貧困からの脱出をめざして」アメリカ学会編『原典アメリカ史 社会史史料』(岩波書
  店、2006年)pp. 243-253.
・共著 「社会史とは―社会史の叙述と史料―」アメリカ学会編『原典アメリカ史 社会史史料』(岩波
  書店、2006年)pp. 3-29.
・書評 「古川博巳・古川哲史『日本人とアフリカ系アメリカ人―日米関係史におけるその諸相―』(明
  石書店、2004年)」『日本史研究』(2005年9月)
・新刊紹介 「岡田泰男・須藤功編著『アメリカ経済史の新潮流』(慶応義塾大学出版会、2003年)」『ア
  メリカ学会会報』第152号(2004年1月)p. 6.
・「モンタナ大学マンスフィールドセンターの試み(続報)」 『歴史学研究月報』 第491号 (2000年
  11月)pp. 4-6.
・新刊紹介  「木下順 『アメリカ技能養成と労資関係―メカニックからマンパワーへ―』 (ミネルヴァ
  書房、2000年)」 『アメリカ学会会報』 第139号 (2000年10月) p. 4.
・「モンタナ大学マンスフィールドセンターの試み」 『歴史学研究月報』 第471号、1999年3月、pp.
  2-3.
・書評 「竹中興慈『シカゴ黒人ゲトー成立の社会史』(明石書店 1995年)」 『歴史学研究』 第681
  号、1996年2月、pp. 57-60.
・「黒人と雇用差別の100年」 『国際交流』 (国際交流基金) 第57号、アメリカのビジネスカルチャー
  特集号、1991年、pp. 27-32.


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